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お伊勢参り、神の国への第一歩
桑名宿は、東海道の日本橋から数えて42番目の宿場町。唯一の海上路である“七里の渡し”で宮宿(名古屋市熱田区)と結ばれていました。桑名船馬町にある七里の渡しを降り立つと、そこには「伊勢国、一の鳥居」が建っています。この鳥居は、20年に一度、伊勢の式年遷宮の度に内宮の宇治橋の鳥居を移築され、桑名でも遷宮のための御用材のお木曳き神事が行われます。古来から人々はこの地に歩みをおろした時が、伊勢国に入った瞬間、安堵の感情と神域に入ったことへの高揚感があったのではないでしょうか。桑名は旅人にとって特別の場所となっていたのです。
米相場、木材、花街 - 船馬町
木曽三川の河口に位置する桑名は、伊勢・美濃・尾張の米産地が近かったこと、木曽からの木材を容易に運べることから、流通の拠点として大きく繁栄しました。ここ西船馬町は「蔵前」とも呼ばれ、豪商たちの蔵と本家が立ち並ぶエリアでした。また、桑名の米相場は日本で唯一夕方にも市が開かれ、全国にさきがけて相場を決めるため「桑名の相場が全国の米相場を決める」と言われ、手旗信号と狼煙で江戸と大坂にいち早く伝えたれたと言われています。
そして、その米相場で、一夜にしてお大尽になる実業家が多く出現しました。それをお祝いする宴席、花街があったのが東船馬町。♪桑名の殿様、時雨で茶茶漬け♪と歌われた「桑名の殿様」とお座敷が盛り上がり、最盛期には120もの数の旅籠があったとも言われ、人と物が交差する場所としてたいへんな賑わいでした。
マルヨホテルのある船馬町が桑名の歴史と経済を、そして文化を創りあげてきたと言っても決して過言ではないといえます。
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