明治から令和へ、引き継がれる材木商の本家
MARUYO HOTELは、材木商である『丸与木材』の本家の建物をリノベートしたものです。桑名は木曽三川の水運を利用して、木曽桧などの良質な木材が集積する場所でもあり、ここ船馬町は多くの豪商が本家と蔵をかまえていました。『丸与木材』は明治13年生まれの佐藤與三郎により「丸与商店」として創業。元々長島町で船大工をしていた與三郎は、建設省(現在の国土交通省)の御用材木店となり、時代の波にのって、近畿日本鉄道などの線路の枕木の納入を一手に担っていました。與三郎は、桑名市住吉町に居を構えましたが、対岸である「船馬町」の土地を熱望していました。「船馬町」は桑名の豪商の地としての地位を確立しており、起業家にとって憧れのブランドだったのでしょう。その後、苦労の末に手に入れたのが、現在のMARUYO HOTELのある場所です。材木商の威信をかけて、良質な木材をふんだんに使った総欅造りの邸宅は、当時話題になったのではないかと思われます。
二代目を継いだのが、與三郎の息子、一與と紀與志兄弟でした。太平洋戦争の間は出兵し、戦後に帰省した故郷、桑名は大空襲を受け、あたり一面は焼け野原となり、丸与の本家も消失していました。戦後、資源がない中で懸命に木材をあつめ、近隣でいち早く復興の証として再建したのが現在のMARUYO HOTELとなる建物です。ビジネスも戦後の建築ラッシュが続き、大手建設会社との取引がはじまったことで、企業としての安定的な成長を成し遂げています。
一與と紀與志のあと、三代目の清和と辰雄が丸与木材を二人三脚で受け継いだのは、日本が高度成長期真っ只中。それまでは手をつけていなかった一般住宅産業への木材卸や新建材を扱うようになるなど、時代とともに鷹揚に事業軸を定め、順調な経営を続けてきましたが、創業者から数えて三代目で暖簾をおろすことを決断したのは、平成になってからのことでした。
そして、丸与木材の本家として住み継がれてきた築70年の旧宅のバトンを受け取ったのは創業者の玄孫(やしゃご)、三代目の清和・辰雄兄弟からは従兄弟の息子にあたる佐藤武司です。武司は、フランス・パリで会員制サロン『Pavillion MIWA』を、京都では築70年の古民家をリノベーションした一棟貸しの宿泊施設『The Lodge MIWA』を手掛けてきています。創業者・與三郎から続く豪傑な気風を備え、船馬町に潜む粋人であることの意識を持ち続けており、それはまぎれもなく丸与木材に流れてきた遺伝子と言えます。自らが桑名人であることの誇りを感じられる場所で、家族と地域の歴史と文化を、そして現在と過去の繋がりを紐解くようにして、MARUYO HOTELを誕生させました。